暗闇こそ、人は希望を感じる

 おはようございます。明日7日は二十四節気の「白露(はくろ)」。 昼間の残暑はまだ厳しい時期ですが、太陽の光を浴びて露が白くきらきらと輝くように見える頃。昔の人は草木に降りた露が白濁したように見えるこの頃を、夏から秋への交代期の目印としたそうです。じれったいほど少しずつですが、季節は移ろいつつあります。

 今日は利用者様と『かぼちゃとベーコンのグラタン』(税込600円)を作りました。料理長が作ったくれたグラタンのソースを容器に盛り分けて、かぼちゃとチーズを載せます。焼きあがったグラタンにパセリをかけて完成。焼けたチーズの香ばしい香りがうららかな風に漂います。食べた~い!

 次回のグラタンは、9月20日(金)の『照り焼きチキンの和風グラタン』です。ボリューム満点のグラタンはいかがでしょうか。人気メニューで、しかも数量限定のため、売り切れる場合がございます。お早めにご予約ください。

『朝顔は闇の底に咲く』

 作家五木寛之さんの「朝顔は闇の底に咲く」の中に、中学生の頃から朝顔日記をつける生物学好きの少女・貝原純子さんのことが紹介されています。貝原さんは高校・大学と生物学を一生懸命学び、卒業した後も朝顔の研究を続けていました。彼女の疑問は「どうして朝顔は朝になって、あの大輪の花をきちんと咲かせるのだろうか」と言うことでした。

 それは、気温の変化のせいであろうか、光のせいであろうか、いろんな方法で実験するのですが、なかなかわからない。ずっと一定の温度の中に置いても、あるいは四六時中光を与え続けていても朝顔のつぼみはなかなか開きません。

 そして、そのあとに彼女が考えついた仮説が付け加えてありました。そこにはこう書いてありました。「アサガオの花が開くためには、夜の暗さが必要なのではないかと考えた。」つまり、アサガオが朝開くのは、夜明の光とか暖かな温度のせいではない。夜明け前の、冷たい夜の時間と闇の濃さこそが必要なのだ。アサガオは夜の闇の中で花を開く準備をするのだ。

 朝顔を人生に置きかえるのは少し飛躍がありますが、私達が、希望という大輪の花を咲かせるのは、必ずしも、光の真っただなかでも、暖かい温度でもない、冷たい夜と濃い闇のなかに私たちは、大輪の花という希望を咲かせるのだ。夜の闇こそ花が咲くための大事な時間なのだと私は考えました。

 私たちの人生には思いにまかせぬことが多々あります。家庭のこと自分や家族の健康、それに社会は矛盾だらけです。これはマイナスの一面であります。それに対してそんなマイナス思考ではだめだ、もっとプラス思考でと声高に叫ぶ人が多くいます。書店にもそんな本が並んでいます。しかし、人生が順風の時はプラス思考もよいでしょうが、いつまでもプラス思考が続かないのも事実です。

 私たちは、日々溜め息をつき、この時代の闇のなかに生きている。その自分の行き先を模索しながら、なんとも言えない時間を過ごしています。しかし、この時間にこそ、ひょっとしたら本当の意味での希望というものがどこからか訪れてくるのを、深い所で、人間の命の時計は感じているのではないでしょうか―――。