悲しみを癒すものは、悲しみ‥

 23年前の今日9月11日、死者3,000人、負傷者6,000人以上という惨劇が、米国の世界貿易センタービルで起こりました。あの映像を見た時の戦慄、そして背筋が凍るような感覚は、いまでも忘れられません。

 今日は利用者様二人と「バターチキンカレー」(税込600円)の盛り付けを行いました。それにしても今日のバターチキンカレー、過去にも何度か献立にのぼりましたが、今日のチキンカレーが最高傑作だとすぐに分かりました。彩りもさることながら、ルーから発する何とも言えない香り、この香りだけでご飯が食べれると感じるほど。実際に試食しましたが、やばいくらい美味しかった~。来月は難しいのですが、11月には献立にいれたいと思っています。

『悲しみを癒やすものは、悲しみである』

「かなしみ」 (坂村真民全詩集第一巻より)

 なんとも言えぬかなしみが潮のように満ちてきて

 じつと寝ていられぬときがある

 なんとも言えぬかなしみが

 潮のように引いていったあと

 まもられている自分に涙することがある

 私も、その通りだと思います。五木寛之の『自力と多力』の中に、「悲しみを癒やすものは、悲しみである」という章がありました。五木氏の知人が入院したとき、その方と同じ病院に二十歳そこそこの女性が入院していました。がんを患い、副作用に苦しんでいたといいます。その若い女性が毎晩窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くのだそうです。

 その理由を聞いてみると、「死は怖いのですが、それよりももっと納得できないことがある」というのです。それは「どうして自分だけが、こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しくて悲しいのです。私と同じ若い人たちは、きっといまごろ、デートをしたり、コンサートに行ったり、本を読んだりしているのでしょう。なのになぜ自分だけが、抗がん剤治療のために髪も抜けて、吐き気に襲われながら、窓の外の東京タワーをみていなければならないのでしょうか」という、深い悲しみなのです。

 こんな女性の質問にどう答えたらいいのか、五木氏は考え続けました。そして、考え続けた結果、実際にその若い女性を前にしたとき、言うべき言葉など何もないと思い至ったといいます。

 「ただできることと言えば、かたわらにいて、ともに泣いているだけのことです。何も言わない。じゃまだといわれれば、だまって去るしかない。」というのであります。これが、「慈悲」の「悲」なのだと五木氏は説かれています。その章の最後にこう結んでいます。

 「東京タワーの見える病室の女性を、もしわずかでもやわらげるものがあるとすれば、それはやはり悲しみでしかないのかもしれません。悲しみの暗闇のなかで、一厘でも苦しみをやわらげるものがあるとすれば、ともに悲泣することしかないのではないでしょうか」

 今日の誕生日の花は「ソバ」、花言葉は「あなたを救う」。私たちの存在が、少しでも誰かの心の支えになりたい‥この思いが、この世に生を受けた私たちの使命だと思っています。