小澤征爾さんを偲んで

まだ検討段階ですが、3月の献立について話し合っております。特別メニューの日を現在の「水・金曜日」から「月・水・金曜日」に拡大できないか、定番メニューを「のり弁当」から別メニューへ変更してはどうか、チャーハンやオムライスなど準定番メニューに新しいメニューを加えてみてはどうか、ベーグルの種類を増やしてみてはどうか‥など、今までの枠に縛られないよう、あくまで皆さんに喜んでいただけるお弁当にこだわって、献立を作りたいと思っています。今週末には完成予定ですので、いましばらくお待ちください。

さて、配達エリア外の遠距離の福祉系の事業所様からコロナで職員さんが休まれることになり厨房機能が停止、当面、弁当を頼めないか?とのお問い合わせをいただきました。困られている事業所様には可能な限りご協力したいと考えております。通常のルートから外れており少し距離はありますが、今回も喜んでお届けいたします!緊急の時はお互い様ですので、どうぞご遠慮なくお声掛けください。

情熱のタクトで世界を魅了した小澤征爾さんが、2月6日に逝去されました。88歳でした。名前や顔は知っておりましたが、恥ずかしながらクラシック音楽を聴く機会はほとんどなく、指揮された音楽を聴いたことがありませんでした。先日、10年ほど前のドキュメンタリー番組が再放送されていました。10年前の76歳(撮影当時)に食道がんを患い、食道の全摘手術を受け、胃袋をつなげるという大手術を受けました。指揮者として再起をかけて臨んだオペラに挑み、微に入り細に入り、情熱的に奏者へ指示を伝え、練習後には体を支えられ、足をひきずるほどに消耗し、それこそ命を削りながらタクトを振り続ける姿に、感動せずにはいられませんでした。

ニュース番組で、どういう時代になって欲しいかという質問に対して―――

「中国で生まれ中国で育った。戦争がはじまる前に、中国から引き揚げて立川(東京)に住むようになった。すぐに戦争がはじまった。立川には軍事飛行場があった。B29が来ると必ず爆弾を落としていった。ある日、同級生の一家の自宅に焼夷弾が直撃して失った。戦争は僕にとって身近な存在だった。戦争を全く勉強しない政治家もいる。それはだめ。日本は色々な戦争があったけど、戦争をしないといった、はじめての国。それを絶対に大事にした方がいい。」

日本が誇る音楽家・小澤さんの語った言葉を私たちは重く受けとめたいと思います。ご冥福をお祈りします。