大切な人たちを、ちゃんと大切にする
夜から雨との予報、いよいよ入梅。All happy!! 前向きな気持ちで梅雨を乗り切りましょう!
今日(6月20日)の誕生日の花は、『ハナショウブ』。花言葉は、『あなたを信じる』です。昔見ていた3年B組金八先生で、「我々はみかんや機械を作っているんじゃないんです。毎日人間を作っているんです。人間のふれあいの中で我々は生きているんです。たとえ世の中がどうであれ、教師が生徒を信じなかったら教師は一体何の為に存在しているんですか。裏切られても裏切られても生徒を信じるのが教師。そしてその答えは何十年後かに必ず出ると教えられました。教師にできることは子どもを愛してやることなんです。子どもを信じてやること。信じ切ってやることなんです‥」と語る若き日の武田鉄矢が演じる金八先生を思い出しました。いま教育現場に、超熱(ちょうあつ)な教師は絶滅危惧種になりました。
うららかな風では6月生まれの3名の利用者様の誕生日会を行いました。うららかな風を開設して1年半が経ちましたが、誕生日を迎えた3名のうちお二人は1年以上利用されている方で、うららかな風にとって無くてはならない存在になりました。これから先も、ずっと、ずっと一緒に弁当作りができればこれ程幸せなことはありません。Happy birthday!
『チャンスはいつも目の前にある~伊能忠敬の生き方から学ぶ~』
夜になると、星空を見上げていた忠敬。50歳になっても、夢をあきらめていなかった忠敬。55歳から17年間、一歩一歩踏み出し続け、地球一周分を歩きぬいた忠敬。考えてみると、忠敬の人生は、夢に向かって一直線に突き進んだわけではありません。忠敬は、いつだって自分に与えられた環境を受け入れ、ご縁を大切にし、ご縁をいただいた人たちを笑顔にするために、自分にできることを精一杯やり続けたのです。婿入りした当初は、忠敬はひたすら伊能家の当主として家族や従業員を大切にし、商人として、お客様を大切にしました。人間が与えられた場で努力を重ねれば、必ず成長します。成長すると、人生の扉が開き、次のステージに上っていけます。そしてそこでは、成長した分だけ、一回り大きなことができる自分になっているのです。
ちょうどその頃、天明の大飢饉(1782~1788年)が起こり、日本中で餓死者が続出しました。そんな中、佐原の町では奇跡が起こるのです。餓死者がゼロ……!なぜ佐原で餓死者が出なかったのかというと、その影には忠敬の存在がありました。伊能家の蔵には、お酒の原料であるお米がたくさん眠っています。忠敬は、そのお米を無償で地域の人々に分け与えたと言われています。そんな忠敬は、きっと多くの人から愛され、応援されたのだと思います。たからこそ、忠敬の人生は、夢であった天体観測を超えて、夢にすら描いていなかった、『大日本沿海輿地全図』の完成という、歴史的大偉業へ運ばれたのではないでしょうか。夢に生きるとは、やりたいことや好きなことだけをだけやることではないのです。夢に生きるとは、目の前のことをすべて受け入れ、その時にできる小さな一歩を踏み出し続けること。夢に生きるとは、大切な人たちを、ちゃんと大切にすること。チャンスはいつだって、いま、目の前にあるということです。
忠敬が大切にしたのは、家族やお客様、地域の人々ばかりではありません。忠敬は、東日本の第一回測量に出かける際に、「隠居の慰みとは申しながら、後世の参考ともなるべき地図を作りたい」という手紙を幕府に宛てて出しています。年老いた忠敬が、身体も心もきついのに、測量をやり遂げることができたのは、「いま自分がやっていることが、必ず後世の日本人のためになる」という誇りがあったからなのでしょうね。そして忠敬の言う「後世の日本人」とは、誰のことでしょう?そうです、私たちのことです!忠敬は、後世に生きる私たちのことも、大切に思ってくれていました。日本の歴史には、愛が溢れています。