努力の上に辛抱を立てる
この時期になると、小さい頃に亡くなった父に連れられて、ホタルを見に行っていました。
「あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ‥」
歌いながらホタルを追いかけた懐かしい光景が今も鮮明に蘇ります。このホタルですが、成虫になるとまったく餌を食べなくなり、はけのような口で水を吸うだけだそうです。幼虫の時期に巻き貝を食べて蓄えた栄養を頼りに成虫として生きられるのは、1、2週間。ホタルの光の舞は、子孫を残すために最後の力を振り絞って恋の相手を探しているところ。飛ぶスピードは桜が散る速さと同じだそうです。何とはかないことでしょうか。
うららかな風の中で、欠席もなく、様々な業務をこなす器用さもあり、なくてはならない存在であり、スタッフも絶大な信頼を置いています。そんな彼から手紙を渡されました。メモ用紙に直筆で書かれていました。それを読むと、彼なりの悩みがあったことに気付かされます。そう言えば、最近は彼と向き合って話をしたことはほとんどありませんでした。彼は大丈夫、サポートは必要ないと勝手に決めつけていました。本当に申し訳ない思いで一杯です。これからは、良いことも、悪いことも、色々な思いを聞かせてください。
『自分一人の手柄と思うな』(桂小金治 1926~2014年)
10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみました。すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊の葉を一枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。「俺にできておまえにできないわけがない」そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、「おまえ悔しくないのか。俺は吹けるがおまえは吹けない。おまえは俺に負けたんだぞ」と僕を一喝しました。続けて、「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」と。
その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。開けてみたらハーモニカでした。喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。花が咲くのは当たりめえだよ」
子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。あまりに嬉しいものだから、お袋にも話したんです。するとお袋は、「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。お父ちゃんが言っていた。あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。