人の喜び我が喜び、人の悲しみ我が悲しみ
連休が終わりました。梅雨空が続き嫌気がさしますが、ぐずついた天気も今日で終わりになるかもしれません。休み明け、しかも連休明けの利用者様のご様子を心配しておりましたが、お変わりなく利用され安堵しました。今週は4日間しかありませんが、一日一日を無駄にせず、実り多い一週間にしていきましょう。
さて、今日は利用者様と特別メニューの「ガパオライス」を盛り付けました。特別メニューの担当になると、どんな作業になるのか不安もありますが、ワクワク感もあります。今日のガパオライスは、赤、黄、緑色の色鮮やかなパプリカと、ナンプラーやバジルと言ったおいしそうな香りが、盛り付ける私たちの目と鼻を喜ばせてくれました。普段食べる機会の少ない、いろんなメニューに携われるのは楽しくて、楽しくて‥心からそう思っています。明日の担当は何かな‥。
お届けした日替わり弁当に、主菜が入っていなかったと苦情のご連絡をいただきました。状況をお聞きすると、私たちの確認作業が不十分で主菜を入れ忘れたことが原因でした。利用者様が盛り付けを行うのですが、最終的に確認作業はスタッフが行わなければなりません。その最終確認を怠ってしまったのです。
たくさんの弁当屋がある中で、うららかな風を選んでくださったにも関わらず、その期待を裏切ってしまい大変申し訳なく反省しております。すぐにスタッフが別のお弁当をお届けしましたが、直接謝罪したく私もお客様の会社へお伺いし、お詫びいたしました。当座の改善策として、盛り付け完了後、全ての弁当をスタッフが最終確認した上でフタを締めることに致しました。信頼されるには10年かかる、信頼を失うのはたった10秒、信頼を回復するには10年かかる「10・10・10の法則」があります。あたらめて信頼をいただくための努力を、一からはじめていきます。
『いのちに導かれて 石黒大圓』
「僕、何も悪いことしてへんのに、何でこんな苦しまなあかんの」。 ガン闘病中の4歳の次男は、こう苦しみの意味を問い、この世の不条理を訴えていました。
「仏様、この痛いの取ってください。僕、何か悪いことして来たんやったら、あやまりますから、許して」。何度祈ったことだろうか。 医師から「覚悟してください」の声が耳の奥でずっとこだまし続けました。私たちに今起こっていることが信じられないまま、どんどん事態は進行していきました。妻は次男の遺体をだいて病院を出るとき、「やっと外に出られたね」とつぶやき、死を受け入れました。死ななければ外へ、我が家へ帰れない宿命だったのです。
9年後、今度は妻の魂が、闘病で苦しんだ遺体を離れていきました。そして晴れやかに、自宅の天井の方へ昇っていく姿を私は心の中で見ていました。「お母さんもそっちへ行くから頼むで」。心の中で二人に手を振り続けました。
ある夜、近くの商店街の路上で、オヤジ狩りの連中に殴られながら、「今日、ここで俺も死ぬのか」と思っていました。幸い、倒され財布を抜かれただけで助かりました。しかし、左肩の打撲痛は、私をずっと苦しめ続けました。そして半年後、その痛みがとれかけてきた時、「あ!ここ一時間ほど痛みがない」。涙がどっとあふれました。妻も子もこの痛み、苦しみをずっと耐えてきた。つらかっただろう。自分が体験してみて初めてわかりました。
自分の力だけでは避けられないことが日常茶飯事のように起こっている。そして普段はそれからまぬがれているから気がついていない。毎日妻や子の笑顔が見られるのが当たり前、給料も稼ぎ、食っていけるのが当然。病気・障害・不渡り・倒産も起きていない。これは努力の結果もあるだろう。しかし人知を超えた力によって守られている。与えられた恵みだと思ったのです。人は大いなる恵みの中で生かされている。
今、ホームレスの支援活動をさせてもらっているのは、この気持ちがあるからです。年間路上死100人以上、救急でかつぎ込まれ亡くなる人も入れれば、500人以上が一年間で死んでいる。不況、リストラで50~60代の高齢日雇労働者は仕事がない。普通のサラリーマンでさえ、失業保険が切れたら、アパートから追い出され、ホームレスになる時代です。まして生まれた時から、不運で身体一つで日銭を稼がざるを得ない重い人生を背負った人々が真っ先に食えなくなって野宿生活になってしまう。決して自業自得とは決められない事情が各人にあるのです。「路上死が妻と子の姿と重なる、救ってあげたい」。私は炊き出しに関わり、カンパを募り、仲間とともに寝袋を14年間で1万3千個以上配りました。何人かは酷寒時には凍死をまぬがれたかも知れません。
妻が元気になれたらお世話になった方々へ「恩返し」したいと言っていました。二人の死を原点として学んだことを人に伝え、妻に代わって社会に恩返ししたいと思います。二人に後を押されるように、まるで「あやつり人形」のように動かせてもらっている日々です。
「苦難福門」という言葉があります。苦難を経ることによって、いつか幸福への門にいたる。私は40歳代の前後に2つの悲しい経験をしました。しかしその苦難がなかったら今の自分はいません。外が凍えている朝、「0度に近い路上で誰か震えながら寝ている人がいたんだろう」と思います。人の「いのち」への共感がいつもわいてきます。人の喜び我が喜び、人の悲しみ我が悲しみ、としてこれからも人生を歩んで行きたいと思っています。