モードの扉を開いたデザイナー~森英恵の信念
昨日の深夜から未明にかけて、かなり激しい雨が降りました。天気予報を見ると、見るたびに変わっています。不安定な気象で、なかなか予報するのも難しいのかもしれません。私たち自身が危険を察知し、対応することを求められているように思います。重要な情報がもたらされても、それを受けて行動を起こすか否かは最終的には各人次第。やはり自分の身は自分で守るしかないのです。
今日は利用者様と焼きさば寿司を作りました。酢飯を押し型で成形し、ガリを敷き詰め、大葉を二枚、その上に焼きさばをのせれば完成です。それほど難しい工程ではありませんが、作るのに時間がかかります。ですから、焼きさば寿司を作る時は集中し過ぎて、無口になるんです。その静寂が心地いいんです。今日も多くのご注文を頂戴した焼きさば寿司ですが、今週の販売を終えると、秋まで中止しようと思っています。食べてみたいという方は、今週中にご予約ください。
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『世界的ファッションデザイナー・森英恵(故人)の仕事観』
「ファッション」、「デザイナー」といった言葉もなかった終戦直後、期せずして服飾デザイナーの道を歩み始め、海外を拠点に活躍。引退後も次世代の育成ために奔走されました。仕事にかける森さんの真剣な姿勢が、作品を観る者を惹きつけ道を開くカギとなったのではないでしょうか―――
(森英恵)
私はパリに行く前にニューヨークで仕事をしていましたが、その頃日本のものは「安くて粗悪」と言われ、デパートの地下室で売られていました。そんな中で私が初めて自作のコレクションをニューヨークで発表した時、たまたま一人のアメリカ人男性が見に来ていました。終了後、「日本人で服のデザインをするのは珍しい。日本のものは平面的で、アメリカ人の立体的な体には合わないので興味がなかったが、あなたのアイデアは面白いから妻のためにオーダーしよう」とスーツ、カクテル、イブニングを決めていきました。結果的に大変喜んでいただきました。実はその男性が世界一贅沢なスペシャリティーストアと言われた『ニーマン・マーカス』の経営者だったのです。このストアには世界的に一流のものしか置いていないのですが、それをきっかけに季節ごとに私のブランドが並ぶようになりました。
彼との出会いがアメリカの高級品の世界に足を踏み入れるきっかけとなりました。それがご縁でレーガン大統領夫人やモナコ王妃のグレース・ケリーさんなどにもオーダーをしていただき、結果的にはそれがヨーロッパへの足掛かりとなったんです。コレクションの時、私は会場にそんな重要な人物が来ているなんて知りませんでしたし、初めて彼と会った時もそんなすごいストアの主人だなんて知りませんでした。私はただ目の前のコレクションに全力で取り組んできただけ。オーダーに対して心を込めて洋服を作っただけ。一生懸命やってきたら結果的にそうなっただけなんです。ただ一つ言えることは、私はいつも日本人としてのアイデンティティーを大切にしてきました。日本のものが「安かろう悪かろう」と言われていた時代だから、あくまでも日本人ができる最高のものをつくろうと思った。
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「一生懸命にやってきたら結果的にそうなっただけ」と謙遜して仰られていますが、身を削り取り組まれた結果に違いありません。しかも、何十年も続けて…。私利私欲を排し、一点に心血を注ぎ努力した者こそが、評価され、一目置かれる存在になるのだと思います。