ガラスの地球を救え~二十一世紀の君たちへ
送迎で芦田川の河川敷を走っておりますと、真っ赤に燃えるような赤色の曼殊沙華(彼岸花)を見ることができます。いつもでしたら、お彼岸に合わせて咲いているのですが、やはり猛暑の影響なのでしょうか、例年より随分と遅い見頃を迎えています。花びらですが、いつもより臙脂色(えんじいろ)に近い赤色に映って見えます。みなさんも、河川敷や田圃の畔に目を向けてみてください。
さて、10月27日(日)は広島県立福山若草園(福山市水呑町)で「若草祭」が開催されます。コロナなどの影響で5年ぶりの開催とのことで、この度、若草園様からお誘いいただき、出店させていただくことにしております。うららかな風らしく、飲食に関するものを考えておりますが、内容は料理長と検討中です。出店以外にも向丘中学校吹奏楽の演奏なども予定されています。みなさんも、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
『現代に向けられた言葉の数々~手塚治虫からのメッセージ』
漫画界の巨星・手塚治虫が亡くなった1989年、その直後に刊行された一冊のエッセイがあります。『ガラスの地球を救え~二十一世紀の君たちへ』は、手塚治虫が生前、講演会やテレビで語った言葉を集めたものです。そして、約700タイトル、ページ数にして15万枚以上という膨大な手塚作品の中には、現代に生きる私たちへのメッセージがたくさん描かれています。混沌の時代のいまこそ、二十一世紀を生きる私たちへ向けられたメッセージに耳を傾けましょう。
四十六億年というとてつもないはるかな時間が、ぼくらの地球の年齢です。しかし、地球上に最初の人類が誕生してからは三百万年しかまだ経っていない。つまり、人間なんて、地球の歴史上では新参者もいいところということです。それがどういうわけか、いまやわが物顔で、“万物の霊長”と自賛しつつ、欲望のおもむくままに自然を破壊し、動物たちを殺戮しつづけています。自国の民を平気で弾圧している悪らつな権力者、政治家も、問われれば、涼しい顔で“緑は大切だ、動物を保護しよう、生命は大切にしよう”と言ってのける。そういっておいて、金儲けのためなら平気で毒物をたれ流して、殺人兵器をどんどん開発し製造していきます。でも、ぼくがもっと悲しく思うのは、権力者ばかりでなく、ぼくらのような普通の市民が案外こんな状態を支えてしまっているような気がするからなのです。
ぼくたちは日ごろ、自分の力で生きていると思いこんでいますが、この大宇宙に満たされた目に見えないエネルギーが、ぼくたちを生かしてくれているという気がしてなりません。この途方もない永劫を生きる宇宙生命の一粒が人類なのです。人間がどのように進化しようと、物質文明が進もうと、自然の一部であることには変わりはないし、どんな科学の進歩も、自然を否定することはできません。それはまさに自分自身=人間そのものの否定になってしまうのですから。
もし輪廻というものがあるなら、ぼくの来世はミジンコかもしれないし、それこそオサムシかもしれません。そう思うと、どんな生き物も同じ重さに思えてくるのです。それに、もう二度と人間には生まれてこれないかもしれない。虫には虫の、鳥には鳥の、そして人間には人間のもっともふさわしい生き方があるはずです。
『ガラスの地球を救え』の最後には「宇宙からの眼差しを持て」という章があります。手塚治虫からすると宇宙から眺めれば、人間は人種や国境もない「地球人」で、昆虫も動物も人間もすべて同等に捉えることができるということだと思います。広く世界を見つめる視点、俯瞰した視点で、必要なことがきちんと見えているか。いま世界で起きている環境問題や人種差別や戦争などの人間が引き起こす問題を考えると、その眼差しを持つ大切さを、手塚治虫の漫画から学ぶことができるように思います。