なにくそ、負けてたまるか!
今日は二十四節気の「夏至」で、日の出から日の入りまでの時間が最も長くなる日。朝の早い私には、早く明けてくれるのは正に天からのご褒美です。でも…今日を境に昼間の時間が短くなると考えると寂しく感じます。一日一日、秋そして冬に向かっていきます。
いつも弁当注文をしてくださる鞆の浦にある保命酒蔵元の工場長は、いつも微笑みながら「おいしかったよ」と声を掛け握手をしてくださいます。昨日は焼きさば寿司で「やばいくらいおいしかった」と満面の笑み。お客様からのこうした言葉は万病に効く薬、落ち込んだ私を救い勇気を与えてくれます。
『陸の孤島で異彩を放つ日本一の焼肉店』(スタミナ苑 豊島雅信)
東京都足立区鹿浜。JRも地下鉄もなし、〝陸の孤島〟と揶揄される辺鄙な場所に、世界中から注目を集める焼き肉屋があります。「スタミナ苑」。席数50席のいたって平凡な店構えですが、驚くのはその行列です。2時間待ちは当たり前。長い時は4時間を要するほど。何しろ予約は不可で、総理大臣や芸能人であっても並んで入店すると言います。「スタミナ苑」でホルモンを担当する料理人の豊島雅信さん。人呼んで〝ホルモンの神様〟。まだホルモンが市民権を得ていなかった50年前から、ホルモンの可能性を見出し、最高の味を追求してきました。開店日は昼過ぎから朝の5時まで18時間、ぶっ続けで店に立ちっ放し。それでいまではスープの沸騰する音を聞いただけで、出来具合が分かる。調理場にいながら電話で話し、お客さんの声も聞こえる。従業員に指示もできる。
僕は肉屋のせがれで、4人兄弟の末っ子。2歳の頃、実家にあった精肉機に興味半分に手を突っ込んで右手の指を2本失って手が変形してしまった。泣き叫ぶ声を聞いた親が飛んできて、ハンマーで機械を叩き割って手を引っこ抜いて病院に連れて行ったらしい。この怪我を理由に、以降数えきれないほどの差別を受けることになります。からかわれたり、あけすけに「気持ち悪い」と言われたことは数え切れない。小学校高学年になると、フォークダンスがあるじゃない。あれは嫌だったね。女の子は僕とペアになるのを嫌がって「あの人の手、変だよ」と聞こえるように言うんだから。こういう声は死ぬまで消えないだろうね。中学卒業後、神戸にある有名なステーキ屋で働くことを夢見て、面接を受けます。しかしそこでも豊島さんは不遇に見舞われることになります。はっきりとこう言われたね。「うちは肉屋だから包丁を持つ。手が悪いのは困る」って。それまで嫌われたり馬鹿にされたりしたことはあったけど、はっきりと「いらない」と言われたのは初めて。これは堪えたよね。失意にあった豊島さんは、こうして泣く泣く家業に入ることになったのです。
家業に入ったはいいものの、右手が不自由なことに変わりはありません。初めは包丁も持てず、ホルモンの入ったビニール袋を開けることもままならなかったと言います。両手が自由なら簡単にできることも、できない。そんな歯がゆさを感じながらも、豊島さんを突き動かしてきた原動力とは何だったのか……。最初は途方に暮れたけれども、何度も練習して包丁が使えるようになった。ビニール袋は両手で押さえて、口を使って開ける方法を考えた。「ハンディキャップがあるからできない」などとは絶対に思わない。その頃の僕は「なにくそ、負けてたまるか」「前進あるのみ」、その一念でしたからね。人から「できない」と言われると、コンチキショウって燃え上がる。後ろなんか見るな、前だけを向いて歩いて行きゃいいんだと。「なにくそ、負けてたまるか」。できないことがあれば人一倍の努力をし、同じ土俵に昇り詰める。その気概が豊島さんを奮い立たせてきたのです―――。